手を伸ばす
指を絡める
離す
追う
触れる肌
さらり 遊ばせた髪の一房が混じりあう
ふわり 存在を、体温を、吐息を、微かに感じて
元々眠そうだった目蓋が、今にもくっつきそうだった
だが何とか寸でのところで堪えているのか、何度も何度も瞬きながら、必死に抗っているのがわかる
む、とが唸った
これで何度目だろうか
その健気とも取れる仕草に、思わず口許が緩んでしまう
しかしそれを目ざとく見つけ、なによぅ と彼女は今にも溶けそうな声で言った
いや、なんでもねえ とは自分の言葉
シーツがしゅるりと音を立てる
また、腕を伸ばして
その小さな頭を撫でてやる
柔らかな髪をかきあげるように、そして包み込むように
昔から、はこうやって頭を撫でられると、その丸い瞳をくすぐったそうに細めて、笑っていた
――今もまた、変わらず
眠気の中に、ふにゃりと笑みが零れていく
…しあわせそうなかお、してんなあ
思わず苦笑すると、聞こえたらしくが目蓋をこじ開けた
だって、しあわせ、だもん
言葉は拗ねているようだったけれど、口調はどこか柔らかくて
ねえ、葉 と
なんだ と自分
の体温が、凄く近い
シーツの上で繋いだ手は、やっぱり小さいままだ
昔と変わらず
懐かしい記憶
最初にその温もりを感じたのは――幼稚園の頃
初めて出逢った霊のともだち
他の人には、見えないともだち
同じ組の子達に紹介しようとして
そこで初めて、“彼”が他の者には感知出来ない存在であることを知った
つたない言葉で、必死に説明しても
得られたのは理解ではなく、ただの不信感だけで
焦りだけが増えて
―――へえ、あたらしい、おともだち?
そんな中で、ただひとり前に進み出たのが、
えっと、あの、あたし、っていいます よろしくね! …ねえ、葉くん、そのともだち、なんて言ってる?
スカートの裾を握り締めながら、緊張した面持ちで言う彼女に
びっくりして
でも
嬉しくて
…かわいい女の子だね、って言っとるぞ
へえ、わあ! わたし、かわいいかな? えへへ
それまでは、あんまり話したことがない女の子だったけれど、
葉くんのともだちなら、あたしも、ともだちになりたいな
そう言って伸ばされた手に、濁りのない笑顔に、一体どれだけ安堵しただろう
二度目は、小学校にあがった頃の記憶
多感な時期 微妙な年頃
ふと持ち上がった学校の七不思議の話題に、うっかり口を出してしまった
だって、霊を信じるとか、信じないとか
そんなもんじゃなくて、だって、だって、だって
そこに、“いる”のに
誰も気付かない
誰も見えない
でも、“いる”んだ
信じるも信じないも関係ない
あいつらはいつだって、ちゃんとそこに“いる”んだって
言いたかった
でも、言えなかった
気まずげに口を噤んだ自分に注がれるのは、幼稚園の頃にも体験したあの訝しげな視線
あの時よりももう少し、はっきりと明瞭に突きつけられた、
そのときまるですべてを断ち切るかのようにその場に現れたのが、偶然にも同じクラスだった
問答無用でぎゅっと腕を掴まれると、
あんまり幽霊の話ばっかりしてると、寄って来るよー
よ、寄って来るって、何が…?
もち、ゆうれいさん
途端げえと呻いたクラスメイト達に、カラリと快活な笑い声をあげて、は教室を出た
無論、自分も一緒に連行された
………オイラ、うそは、つけん
ぽつりと廊下に響いた声
そう言った自分の顔は、これ以上ないくらいきっと幼かったに違いない
そうだね
彼女はただ一言、そう言った
…オイラ、嘘、つきたくないんよ
うん
いねえなんてそんなこと…言いたくねえ
うん
………オイラ、あそこは、苦手だ
うん
しってるよ
真っ直ぐな声
しっかりと握られた掌から、じわりと体温が溶けていく
真っ白なシャツを着た彼女の背中が、やけに眩しかった
人当たりが良くて、友達も多い彼女
元々人付き合いが苦手な上に、時々訳のわからない事を言う自分
はたから見ればかなり特殊な二人だっただろう
彼女が周囲からどんな目で見られていたのかは、知らない
或いは仲の良い友人から、忠告も受けていたかもしれない
見えないものを信じるのは難しい
それが俗的であればあるほど、そしてそれに対して真剣な態度を見せれば見せるほど
周囲との溝は更に深まっていく
そう、オカルトやら心霊番組が流行したちょうど思春期のあの頃、確かに“幽霊”は娯楽以外の何物でもなかった
だから大真面目な顔をして騒ぐ自分は、同年代の者達には余程奇異なものとして映ったに違いない
そして
大多数の人間の中で、真逆の意志を持ち、更にそれを突き通すのもまた難しい
マイナーは所詮メジャーには勝てない
流されて、まあいっかなんて、何となく納得した気になって
或いは敢えて突出したがらず、隔絶されることに怯えて、自ら埋もれていく
結局はそういうものなんだと、思っていた、思っていたのに
うん
しってるよ
だから、わかる
どれだけの勇気を有して
どれだけ己を突き通した彼女が…強かったのか。
彼女は何度、この手を握ってくれただろう
自分が苦手だといったあの場所から、連れ出してくれたのだろう
そして最後は、笑って
何も言わずに笑って、くれた
でも数年後、アメリカに行かねばならなくて
楽に生きる為、シャーマンファイトの為に、別れも告げられずに誠意もろくに返せずに、慌ただしく日本を発って
全てが終わって日本に帰って来た時、いの一番に向かったのは、の家
何も言わずに学校を休んで、国外へ行ってしまったものだから、きっと引っ叩かれても文句は言えないと、きちんと自覚していた
引っ叩かれるだけならまだいい、嫌われて、無視されて、あなただれ? いやもしかしたら本気で忘れられているかも、だなんて
悪夢以外の何物でもないな と
そんな予想にびくびくしながら彼女の家の戸を叩いた
予想的中
引っ叩かれた
それはものの見事に、向かいの家の塀に激突して、そこの飼い犬が吼え騒ぐほど
びっくりして出てきたそこの家の人に、慌てて誤魔化して、恐る恐るに向き直ると、
泣きじゃくっていた
ばか、ばか、どこいってたの、心配、したの、心配したんだよ、葉のばか、ばかばかばかっ
どんどん、と胸を叩く手は、やっぱり小さいまま
それでも懸命に、思いをぶつけようとしているみたいで
ああ久々に、彼女の声で、名を呼ばれた
そう思いながら、思わずその手を取って
握り締めた
…ごめん ごめんな
ただいま
………ばか おかえり
そのあともう一回殴られた
―――何考えてるの?
の声にふっと我に返る
不思議そうな視線
オイラがアメリカから帰って来た時のこと、思い出してたんよ と答えてやると、ああ、あれ と微笑む
最初はね、私、夢見てるのかと思ったんだよ
オイラが帰って来た時か?
うん …それこそ、幽霊にでも会った気分だった
そりゃすげえな
でしょう?
くすくすと小さな笑い声を漏らす
その仕草が無性に愛しくて、ふわりとその髪に鼻先を埋めた
の匂いでいっぱいになる
彼女にはアメリカでのこと、少しずつ話している
どれだけ把握してくれているかは、正直わからないけれど
それでも うん とひとつひとつに頷いて
聞いてくれる
…ねえ 葉
何だ
おやすみって言ってね
…んあ?
それでね、明日の朝、起きたらおはようって言ってね
お、おう、まあそりゃあ挨拶は大事だかんな
うん
どこにも いかないでね そうして 傍にいてね
……?
おやすみ、葉
…おう、おやすみ
約束どおりその挨拶を最後に
の意識は完全に夢の中へ落ちていったらしい
程なくして、微かな寝息が聞こえてくる
少しだけ、その寝顔を見つめて
少しだけ、首をかしげて
でもやっぱり自分も眠気には勝てなかった
あくびをひとつ
…さて、じゃあ、オイラも寝るかね
誰にでもなく呟いて
もう一度くしゃりとその頭を撫でると
ふっと息をついて
目を閉じた
指先の温もりを夢の道しるべにして
それは、はじまり
とても小さくて、それでいて確かな
それは、あしたを繋いでいく、はじまり。
ひとつの物語はここから
(久々に感じた手のぬくもりに、安堵したのは私の方なんだ)
(帰って来てくれて、ありがとう)